この世に偶然というものは存在しません。すべての出来事に何かしらの意味があります。わたしたちがこの地上に生まれてきたことにも意味があり、すべては神の法則・摂理(永遠に変わることのない現象と現象との関係・万象を支配する理)のもとに人生が展開しています。
全法則の基本原理である「因果律」について
善い行いをすれば報酬が得られ、悪い行いをすれば罰を受ける。“因果律”は地上世界でも霊界においても共通する基本的法則の一つです。
原因(タネ)には結果(実り)が生じます。善い行いをして悪い結果がもたらされることはなく、反対に悪い行いをして善い結果が得られることもありません。一人ひとりに“霊の帳簿”というものがあり、一つひとつの行いが自動的にその帳簿に記録され、行為の一つひとつに対し数学的正確さをもって機械的に機能し、自動的にそれ相応の結果が生じるようになっています。
賞罰の結果は必ずしも地上時代中に得られるわけではありませんが、現在、何らかの苦しみを抱えている人は、過去になんらかの悪いタネを蒔いた結果として今の苦しみを受けているといえます。身に覚えのない苦しみを受けているという人も、地上に生まれる前に犯した罪が関係しているということです。
すべては必然の結果であり、生まれた国、場所、家庭環境、容姿、貧富、病気といった様々な要素も偶然そうなったわけではなく、地上人生の目的である真の自我を見出し、霊性を開発する道において最も適切な環境であるとあなたも承知のうえで誕生してこられました。この因果律という基本法則はとてもシンプルなものですが、つまるところ日々の行いや選択の積み重ねが非常に大事であるということです。そのため、日々よいタネを蒔くよう心掛けることが大切です。
人間に与えられた“自由意志”(宿命と運命)
現在のあなたを取り巻いている環境は、過去の行いによって決まります。未来はこれからの日々の行いの積み重ねによって決まります。これもすべては因果律の作用によるものですが、日々の選択・決断はあなたの“自由意志(自身の考え・判断/選択・行動)”によるものです。
人間は神から自由意志が与えられておりますが、日々の行為や物事に対する選択は自由なのです。操り人形ではないということです。これで、宿命・運命というものにはっきりと理解がいくのではないでしょうか。つまり、一個の魂が地上人生で成し遂げる必要があること(宿命)をもって生まれてきたとしても、人生がどう展開していくかはその人の自由意志に左右される(運命)ということです。
人生の目的は向上進化ならびに死後の次の世界への準備のための身支度(真の自我を見出し、霊性の開発の道に進むこと)にあります。しかし、毎日の自由意志によっては得られる霊的成長の度合いは変わってきます。向上進化のために大切なのは毎日の行いであり、善行を積み重ねて悪いことを一つずつなくしていくことでプラスの結果を得るよう努力することが大切になります。する・しないも自由ですが、それに対する賞罰の結果を受け取るのも自分自身だということです。自分で蒔いたタネは自分で刈り取る、これが神の摂理です。
では、一体その善悪の判断基準とは何になるのかということですが、それは良心(道義心)によって人それぞれ異なります。人間は煩悩を抱えているため、判断に迷った時は複数の考えが頭をよぎりますが、“良心”はいつも適切な判断をしています。良心とは神の監視装置(モニター)であり、その良心の声に従い行動すれば成長が得られますが、人間はときに言い訳をしてなかったことにしたり、また苦しみに立ち向かわず逃げたりと過ちを犯しがちです。
良心の声に従えば人生も大きく間違えることなく正しい道に進むことができるので、迷った時は自分の良心に従うことです。人生の目的が霊性の開発(霊的成長)にあるということを知った段階となれば、善悪の判断基準はその想いや行いが霊的成長(欲望の回避、利他的行為)に結びつくかどうかというとてもシンプルなものになります。
埋め合わせと懲罰の法則
自由意志による日々の選択・行いに対する賞罰の結果は、地上生活の間に得られるとは限りません。しかし、地上生活中に報われずとも神の摂理に従って生きれば、必ずや死後の世界において祝福を受けられます。
反対に摂理に反し、また悪事を働いた場合はいずれその報いを受けることになります。仮に地上で何事もなかったとしても、死後にその報いを受けることになります。その懲罰(宿業)を地上人生の苦しみで解消するという場合も大いにあります。これが埋め合わせと懲罰の法則であり、このサイクルを通して永遠に向上進化を続けることになります。