人生の目的、地上に生まれてきた理由

“なぜ自分はこの世に生まれてきたのか”、この理由を長い間さがし続けてきた人もいると思いますが、地上は永遠の生活を送る霊の世界での準備期間として位置付けられており、わたしたちが地上に生まれてきたことには明確な目的と理由があります。

人生の目的は真の自我を見出し、霊性を開発(霊的成長)すること

なぜこの世に生まれてこなければならなかったのかという問いに対する答えは、辛く悲しみの多い地上人生においてこそ学ぶことができる教訓があり、「自身の持てる霊の資質を磨くための試練に身をさらすため」、そして地上生活のあとに待ちうける「霊の世界における仕事や楽しみを享受する資格を得るため」にあります。

霊の世界でも学ぶことはできますが、実践し身につけるという観点からすれば霊の世界よりも地上の方が必要な教訓を学び、そして身につける場として好都合なのです。これは読書と同じで、本を読んで学んだ知識は実際に使ってみないことには本当に身についたとはいえないのと同じです。地上は試練の場であり、修行の場です。あらゆる困難、悲劇、苦痛を味わいますが、これこそが地上世界の存在価値と言っても過言ではありません。反対に何の苦痛もなく、安楽な人生のみであるならば、地上には何の価値もありません。それは、地上が死後の次の世界に向けての準備・身支度をする場所だからです。

わたしたちは死後も生き続けます。地上をあとにした後は、霊の世界で暮らします。身支度とは、霊性の開発(霊的成長)を自ら進んで行うことにあります(ここでいう「霊性」とは自分自身の全体の中の神性を帯びた部分をいいます)。そのためにはまず“真の自我”を見出す必要があります。

真の自我、すなわち自分は儚い物的存在ではなく、本来が霊なのだと悟る段階に至るためには、地上においてさまざまな体験を積まなければなりません。過酷な環境に置かれるのはそのためです。困難、悲劇、苦痛、不幸や悲劇に遭うことそれ自体は、本当は悲しいことではなく、霊的本性を自覚し、光明の存在を知るうえで触媒となる価値あるものなのです。そして真の富は本性に宿されているものだけであって地上生活上の物的欲望、野心、富の蓄積は何の意味もないと悟ったとき、真の自我を見出したことになります。

地上人生の究極的な目的は、物的な裏側にある真の自我を見出すことにあります。真の自我を見出せば、内部に宿る神性を発揮し、進んで霊性を開発しようとするようになり、これが霊としての永遠の生活を送る上で身支度を整えることになるからです。人生の意味は、お金や物といった幻影を追い求めることにあるのではなく、実在を悟ることにあります。地上も死後も大切なのは霊性の開発にあります。こうしたことは地上人生で身につけておくべき大事な教訓です。

大事なことは、物的欲望を抑え、人のためになることをすること

人間には、神様から与えられている神的属性(利他性)と、動物的本能(利己性)とがあり、動物的本能(利己性)との葛藤の上、利他性を志向することで霊的に成長するようになっています。動物的本能に基づく下等な欲望や感情が勝つか、それとも神的属性である霊が勝つか、ということです。また、人生には運命の十字路があり、どの道を選択するか毎回決断を迫られます。どれを選択するか、その選択の連続が人生とも言えます。

困難や苦しみを避け、安穏とした生活、また欲に溺れるような生活を送っていては、霊的向上は望めません。霊的に成長するためには、苦難に尻込みせずに敢然と立ち向かい、物的欲望を抑え、利他的な生活を送ることによって得られます。具体的には、物的要素(欲望)に囚われることなく、思いやりの心、寛容の精神、同情心、奉仕(愛・無私の行為)といった利他的行為、そして仕事をしっかりと仕上げることを通して得られます。反対に欲に溺れ、邪(よこしま)な心、憎しみ、悪意、復讐心、利己心、罪悪、不寛容といった精神は、霊性を下げることになります。

地上人生で成すべきことは、毎日を霊的成長のために意義あるものとして過ごし、悲しみや苦しみが実は有難いものとして受け止め、一つひとつ立ち向かっていくことです。人生の困難は魂が向上していくための階段です。人間は完全ではないので、失敗してしまうこともありますが、良心に従い、自分なりに最善を尽くし、一歩一歩階段を登って成長していくことが地上人生のもつ意味なのです。

人生のあらゆる体験は霊的教訓を与えてくれる貴重なもの

地上で生じるあらゆる出来事は、地上世界のことだけで切り取って理解をすることはできません。地上は不公平・不平等がよく見られる不完全な世界です。しかし神の法則・摂理の働きは完璧です。神の法則・摂理を知り、死後の世界のことを知れば、地上世界において生じるあらゆる出来事の意味を知ることができます。

人間は、地上人生における悲しみや苦しみを通して神の摂理や霊的真理を学ぶようにできています。物的なものはいくら貴重で大事なものであってもいずれは朽ち果てていくのに対し、地上で身につけた教訓・霊的遺産は死後も錆びつかず永遠に輝き続けます。その宝を地上で生活している間に手に入れるように努力することが賢明な人間の生き方といえます。

■『人生を支配する法則・摂理の存在について
■『人生にはなぜ多くの苦しみや悲しみがあるのか
■『地上人生の過ごし方