晴天の日があれば嵐もあるように、人生は時に辛く厳しいものです。徹底的に苦しめられることもあります。悲しみや苦しみが大きいと、なぜ自分だけがこういう目にあわなければならないのか、そしてなぜ生きているのだろうか、と一人涙することもあるでしょう。この世は不平等である、そう思われるかもしれません。では、一体なぜ苦しみや悲しみの多い地上にわざわざ生まれて来なければならなかったのでしょうか。
地上世界の位置付け
神様がなぜ辛く厳しい地上世界を用意したかといえば、全てはわたしたちのためになると考えられているからです。種子が暗い土の中で栄養を摂取していずれは太陽の下に芽を出すように、地上という暗闇(土)は魂(種子)の霊的成長(栄養)を得る場として位置付けられています。
地上に誕生する前、魂そのものはどういった人生を歩むことが内在する霊的資質を磨くうえで最もよいかわかっていました。つまり、苦難や困難を含めどのような人生を辿るかをあらかじめ承知の上で地上に生を受けており、わたしたちはその苦しみに立ち向かって克服し、成長するために地上に生を受けています。地上で受ける苦難や困難、そして悲しみには「真の自我を見出し内在する霊の資質を向上させるため」、そして「宿業(カルマ)の解消」という重要な目的があります。
魂は宝石の原石と同じく磨き上げる必要がある
わたしたちは、地上における悲しみや苦しみを含むさまざまな体験を通じて真の自我を見出し、霊(魂)の資質を磨くためにやってきています。金塊や宝石と同じように、魂という原石を磨き上げるためにはそれなりの厳しい体験が必要で、その体験を得るために地上に戻ってきています。今は自覚がないかもしれませんが、大半がその体験を求めて自ら希望して地上に誕生(再生)してきています。
地上人生は光と闇、晴天と嵐、喜びと悲しみといった両極性の世界です。体験された方にしかわかりませんが、日陰の生活を味わってこそ日向の生活の有り難さがわかるというものです。つまり、人生における過酷な体験も死後、大きな喜びをもたらすことになるということです。いずれ、霊の世界に戻って地上人生を振り返ってみると、ためになる教訓を得たのは、いずれも人生における暗く辛い体験であったと気付かされます。今現在、苦しみの中にいる方はぜひとも人間性・霊性が鍛えられるのは試練の中においてこそということを覚えておいてください。
地上人生はすべて死後の生活に備えるための準備です。安楽な人生には価値はなく、必ず報われる時が来ます。それは地上時代中ではないかもしれませんが、霊の帳簿は一銭の狂いも生じません。わたしたちはいずれ霊の世界に帰りますが、死後赴く世界にて全て埋め合わせされるので何の心配も必要ありません。死後の世界に想いを馳せ、今受けている苦しみも教訓を学べる機会と捉え、すべて霊的成長の糧になるのだとの思いを持って前向きに生きていきましょう。
苦しみは自らが撒いたタネ(原因)の結果を刈り取ること
今は自覚がないかもしれませんが、今受けている苦しみの原因は自らが作り出したものである可能性があります。不幸も、悲しい出来事も、病気でさえもすべては偶然ではなく、因果律の作用として必然的に生じています。地上にもあの世にも偶然というものはなく、全ては過去の自分の行為が影響しています。ここでいう過去の自分の行為とは、現世だけの話ではありません。過去世で犯した罪(負債・カルマ)を償うために、再び地上に再生してきている場合も大いにあるということです。この世は不平等にみえて、実は平等なのです。そうでなければ、これほど理不尽な世界はありません。
ただ、悲観的に考える必要はなく今受けている苦しみは神様から与えていただいた償いのチャンスでもあります。チャンスを有効に活用するためには、苦しみから逃れようとするのではなく、自分に与えられた荷であると受け止め、困難に前向きに取組み、悲しみ、苦難を通して宿業(カルマ)を解消し、人間性を磨き、教訓を学ぶよう努めることです。思念、行為の一つひとつが魂に刻み込まれます。苦難の中にあって前向きに困難に立ち向かい克服しようとする心がけは必ずプラスの結果を生み出すことになります。
過酷な冬の季節が長くともいずれは春がやってくるように、事態が好転する日が必ず来ますので、目の前にある問題も前向きに取り組むことにしましょう。